今回は東京都文京区にある胸突坂と関口芭蕉庵を訪ねます。
文京区の南端を流れる神田川。
桜の名所としても有名で、春になると多くの人で賑わうエリアです。この神田川に架かる駒塚橋という橋の近くに、今回の目的地である胸突坂があります。川は区界の役割も担っていて、川を挟んで南側の新宿区と北側の文京区では、雰囲気だいぶ異なります。
新宿区側は集合住宅や小規模の工場が密集しており、いかにも東京といった雰囲気。一方で文京区側は目の前には台地の急な斜面が迫り、鬱蒼とした木々が生い茂っています。
このあたりは江戸時代に大名屋敷が置かれていたのだとか。
かつて久留里藩黒田家下屋敷のあった場所はホテル椿山荘東京になり、熊本藩細川家下屋敷跡の一部は肥後細川庭園という日本庭園として開放されています。都心にありながら、あまり開発されずに往時の姿を残しているのは奇跡的です。
駒塚橋のすぐ目の前、細い小径の先に胸突坂があります。
緑に囲まれた味わい深い細道です。
入口あたりに案内板があるので読んでみましょう。
胸突坂
目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川家下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りしあ往時の人々の苦労がしのばれる。
文京区教育委員会 平成10年3月
名前の由来や周囲の不動産について記載されています。
急な坂という意味でよく使われたという胸突坂。東京にはほかにもいくつかの胸突坂と呼ばれる坂があるようですが、こちら文京区の胸突坂が一番よく知られるところのようです。
最初は緩やかな坂道になっていて、途中から傾斜がきつく階段状に変わります。
道幅が細いため、通行できるのは歩行者のみ。道路に面した場所に車止めが設置されていますが、二輪車は押して通行することができるようです。
階段を上る前に関口芭蕉庵にも立ち寄ってみましょう。
階段の手前、右手に「芭蕉庵」と書かれた建物の入口らしきものがあります。芭蕉とは『おくのほそ道』などで知られる俳人松尾芭蕉のことで、彼のゆかりの地の史跡として整備されています。
松尾芭蕉は1677年から数年間、この地に住んでいました。
水番屋に暮らしながら、神田上水(現在の神田川のこと)の改修工事に携わったと言われています。没後、有志によって芭蕉にまつわる草庵や塚が建てられ、この地の名を取って関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。
園内には小規模ながら日本庭園があり、自由に見学することができます。
芭蕉庵や芭蕉堂といった建物は戦後に再建されたものです。
以前は湧水も出ていたようで、都内とは思えない豊かな自然が残っています。瓢箪池と呼ばれる細長い池の周りを一周することができましたが、園内の上の方はすべて立ち入り禁止。説明版にもあった蕉雨園の敷地とそのまま繋がっているためのようです。
いよいよ、胸突坂を上っていきます。
道幅が狭く細長い階段状の坂道です。基本的に直線ですが、途中で少し右に折れ曲がっています。坂道は全体で65mの長さがあるのだとか。もちろんアスファルトで舗装されていますが、江戸時代はもっと雰囲気のある坂道だったことでしょう。
石塀と樹木に囲われているため、昼なお薄暗く趣のある道。
周辺に神田川と目白通りを繋ぐ道が少ないので、通行人は多い気がします。
傾斜がきついので上るのは疲れてきますが、ちょうど木陰もできて歩きやすいです。
雨の日はアスファルトが濡れて風情があるでしょうし、周辺の木々は紅葉樹が多いので秋の季節も風情がありそう。他の季節にも訪れてみたくなります。
坂道の7分目あたりに小さな休憩スペースが設けられています。
ちょうど木陰になっていて、ベンチもあるのでありがたいですね。
坂道を振り返ると、神田川と駒塚橋が見えます。
俯瞰してみると坂道の傾斜角度は一定でないことがわかります。中間あたりがもっとも角度がキツく、その前後は多少緩やかにつくられています。
頂上に到達です。
一気に台地の上まで登りきったので、この先の道路は平坦になっています。目白通りに出るにはしばらく歩きますが、すぐ左手には永青文庫があります。かつてこの地にあった肥後細川家所蔵の文化財を展示する施設で、一般公開されています。