名越切通し~鎌倉の古道、鎌倉七口を歩く~

鎌倉市と逗子市を隔てる山地に残されている名越切通し。
現在ではJR横須賀線と県道311号線の隧道が通っており、難なく通り抜けることができます。

名越切通しとその周辺

名越切通しは、鎌倉と三浦半島を結ぶ要衝として整備されました。

街を隔てる丘陵地の尾根沿いには、山肌の迫った険しく狭い古道が残されています。この切通しは鎌倉七口と呼ばれる有名な切通しのなかでも、往時の雰囲気をよく残している史跡です。

明治時代まで継続的に利用されてきた道のため、中世の環境がそのまま残されているわけではありませんが、自動車はおろか自転車でも到達不可能な場所にあるため独特の雰囲気は保たれています。

周囲には葬送にまつわる史跡も残っていることも特徴。古より墓地などの死にまつわる場所は、都市部から離れた周縁地に設けられることが多いためです。

道沿いに残された「まんだら堂やぐら群」は鎌倉有数のやぐら群で150穴以上が現存。

やぐらは鎌倉特有の葬送方法で、横穴式の納骨場所や供養地を指します。最近までは立ち入りが禁止されていましたが、現在は季節限定で公開されています。

切通しの特徴である山深く険しい道と、行く手を阻むような切り立った岸壁は大小3ヶ所残されています。

外敵の侵略を拒むように狭まった場所や迎え撃つための平場跡もあり軍事的要衝であったことを感じさせてくれます。

石切り場跡とされる大切岸の光景もまた圧巻です。

名越切通しと小坪トンネル

名越切通しを下った先にあるのは、現代版名越切通し。

一方通行の自動車用隧道が上下3本ずつ山肌を貫通していて、計6本の隧道が鎌倉と逗子方面を結んでいます。

隧道はもっとも鎌倉側に位置するものが名越隧道、中間が逗子隧道、逗子側が小坪隧道となっておいて、現在下り専用。のちに完成した上り用の隧道は新名越隧道、新逗子隧道、新小坪隧道と名が付いています。

昭和後期には鎌倉随一の心霊スポットとして知られていましたが、上下線を分離して新しい隧道を造るなど大規模な改修が行われたこともあって近年は話題になっていません。

インターネットで検索すると多くの都市伝説を読むことができます。

有名な話は髪の長い女性が立っている、通行中にボンネットに女性が落ちてくるなど、ありがちなお話。怪しげな場所であることは間違いないようで、それが頭上にあるまんだら堂に起因するのではないかともいわれています。

川端康成の小説、『無言』でもこの隧道と思われる描写と回想があります。

この一帯は鎌倉そして逗子の境界にあたります。

境界とは、人々が遠ざけようとする存在や概念が寄せ集められる空間として成り立つことは、昔も今も変わらないのですね。地図を眺めると付近には火葬場や清掃工場、病院などが集まっていました。

名越切通しの場所

関連作品

川端康成「無言」

川端康成の短編小説「無言」は、鎌倉から逗子に向かう際のトンネルが登場します。火葬場というキーワードが示すように、作中のトンネルは小坪トンネルを指していると考えられています。

当時から幽霊が出ると噂のトンネルをモチーフに、物語は終始トンネルに出る女性の幽霊の話題で進んでいきます。とても短い小説ですが、怪談実話系のようなお話なので興味のある方は是非読んでみてください。

「無言」をはじめ、川端先生の怪談小説はちくま文庫の『文豪怪談傑作選 川端康成集』に収められています。