義経の足跡をたずねて腰越 満福寺を歩く

鎌倉の歴史的舞台である腰越。

兄である源頼朝の怒りを買った弟の義経は、鎌倉入りを果たすことができませんでした。
その義経が逗留した場所が腰越の満福寺であったと言われています。

境界の地、腰越

腰越という場所は鎌倉の外縁部に位置する衢でした。いわゆる境界地点です。

鎌倉の地は切り立った山が周囲を固める自然の要塞であり、切通しと呼ばれる半人工的な道路を通すことによって通行が可能になっていました。特に重要視されたとみられる切通しは現在「鎌倉七口」などと呼ばれています。

それらの場所からは少々離れていますが、断崖が海岸近くまで迫った腰越もまた鎌倉への一つの出入り口とされていたのでしょう。

満福寺と腰越状

源義経もまた、この腰越を通ることが出来ずに滞留を余儀なくされ、この地で「腰越状」をしたためました。

彼が満福寺で兄への嘆願文、「腰越状」を書いたことは、『吾妻鏡』などの史書、『義経記』をはじめとする軍記物語など多くの書物にも登場してよく知られています。

義経はその文を公文所別当であった大江広元に託しましたが、その甲斐なく鎌倉入りは果たせずに京都へと戻ったといわれています。

万福寺と源義経

閑静な腰越の街に建つ満福寺。

このお寺は真言宗大覚寺派の寺院で歴史は古いです。
縁起では天平16年(744)に行基が建立したとされており、行基は東国の流行病を抑えるべく、この地で霊威を得て薬師如来を彫刻したといいます。そのことからも本尊は薬師如来です。

本堂に向かって右手には事務所があり、本堂拝観の受付にもなっています。

本堂の襖絵には義経の生涯が描かれており、義経と静御前や弁慶の立往生などは誰しもがわかる有名な逸話。ひとつひとつをじっくりと鑑賞できます。昔ながらの自動放送も健在で、義経の物語を聴きながら参拝をすることができます。

義経関連以外では特筆する点は、内陣に宇賀神像が安置されていること。宇賀神は人面蛇体の不思議な姿をしており、江島神社や銭洗弁天でも祀られています。中世には弁才天と習合した神仏習合文化の色濃い神様です。

本堂の横には弁慶と義経の像があり「腰越状」の歴史舞台の地であったことがわかります。

隣には弁慶の腰掛石と手玉石が置かれています。全国各地には弁慶伝説が多く残されていますが、東国には特に石にまつわる伝説が多いです。

隣の手玉石は弁慶が腕試しに持ち上げたものだとされています。よく神社やお寺の境内にある力石のようなものです。

満福寺の猫

境内にはよく肥えた猫が数匹、昼寝をしていました。
本堂の階段や、寺務所の棚でうたた寝をしており、人が近づいてもあまり気にしないようです。

海が近い頃からもこのお寺は漁師からの信仰も篤かったと言われています。
この街の猫たちはいい鮮魚を食べてそうですね。

満福寺の目の前を江ノ電が走っています。

江ノ電は住宅の隙間を縫うように走っており、踏切が閉まると、ゆっくりと現れます。この踏切のある道は満福寺に直通しており、お寺の専用踏切といった感じです。

満福寺の場所

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