不思議に満ちた十六井/鎌倉 海蔵寺

鎌倉寺社巡り

今小路通りからさらに北上して谷戸に沿ったなだらかな坂を上った先に海蔵寺があります。

扇谷山海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺院で、建長5(1253)年以降七堂伽藍を持つ大寺院でした。
その後、幕府滅亡を経て応永元(1394)年に上杉氏定が海蔵禅寺として再建。
開山禅師(源翁禅師)を開山に招き、菩提寺としたのが今日の海蔵寺の起こりです。

室町時代に大いに栄えたそうですが、江戸時代ごろには現在の形になったとされています。
鎌倉中心部や長谷といった観光コースからは少し外れており、知名度は劣ります。
しかし、長い歴史のある寺院のため境内には不思議な魅力を持った史跡が多く残されています。

また、山門を潜ると境内には多くの草花が植えられ変化に富んだ風景を作り上げています。
庭園を歩いてるかのごとく、季節ごとの花を愛でながら、ゆっくり参拝したいものです。

本堂は関東大震災以降の再建で、薬師如来を安置する仏殿は安永5(1776)年に北鎌倉の浄智寺から移築したもの。
本尊の薬師如来は、その胎内に土中から発見された仏面を収めていると伝えられ、「啼薬師」とも呼ばれています。
伝説をひも解くと、開山禅師が毎夜裏山から赤子の泣き声を聴き、探り当てた墓石から発掘された薬師如来の御顔であるといいます。
この仏面は秘仏となっていて、御開帳は61年に1度のみ。


那須野の殺生石(栃木県那須塩原町)

開山禅師は、別名で源翁禅師とも言われています。
源翁は那須野にある殺生石の伝説にも登場する名僧です。
平安時代に玉藻の前に化けていた九尾の狐は宮中を追われ、遠く那須野の地で討ち取られます。
その後、毒石と化した狐は後世に渡っても災いをなしていましたが、源翁の杖による一撃で石は破壊されたという伝説が今も残されています。

海蔵寺にはほかに、十六の井(十六井戸)と呼ばれる場所もあります。
境内とは少し離れた場所にあるため、気を付けていないと見落としてしまうかもしれません。
仏殿横の狭い路地を抜けて、素掘りの洞門をくぐった先にあります。
見学の際は、境内にある赤い和傘の下に拝観料100円を奉納してから向かいましょう。


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崖にぽかりとあいた岩窟のなかに、
縦に4つ、横に4つ並んだ円形の穴があり、水が溜まっています。
現在も水が湧きだしているとのことで、十六の井と呼ばれています。

伝説によると弘法大使が掘ったとも言われ、岩窟の正面には聖観音立像が安置されています。
なぜ4×4という配置なのか、本当に井戸として造られたのか(納骨穴説)など様々な謎が残され解明するに至っていません。


本殿横の崖にもやぐらがあり、鳥居が目に付きます。
ここでは銭洗弁財天と同じく、宇賀神を祀っているようでとぐろを巻いたお姿が印象的です。

鎌倉特有のやぐらのじめじめとした雰囲気が満ちた空間です。

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