巨大観音像が鎮座する大船観音寺を歩く

JR東海道線の車窓から巨大な観音様を見た方も多いのではないでしょうか。

大船駅からほど近くの山の中腹に大船観音寺があります。今回は車窓から気になる大船観音についてご紹介します。

大船観音と巨大仏

大船観音遠景

全国には「巨大仏」と呼ばれるひときわ大きな仏像が多く建設されています。

主に戦後から現在に至るまで各地で断続的に建設されていて、東京湾観音や仙台観音、牛久大仏など枚挙にいとまがありません。高さは10m級の小さなものから、100m級まで幅広く造られています。

この巨大仏建造ブームは主に戦後の産業技術の発達から鉄筋コンクリートの巨大建造物の建設が容易になったことが影響していると考えられます。宗教団体の建設はもとより、この時代に顕著なのは実業家らの起草によるものです。

この大船観音もそのひとつで、計画自体は巨大仏の中では最も古いもののひとつです。

1927年に政治家の金子堅太郎ら5名が、観音思想を普及し、世相を浄化することを目的に巨大観音像建設を計画。
寄付金を募って2年後の1929年に着手しますが、世界恐慌や太平洋戦争などが度重なり工事は中断することになります。

その後、1954年に20年以上放置されていた観音像は、東急の社長で知られる五島慶太らの「大船観音協会」が発足して計画が再始動。1957年に起工して、3年後の1960年にようやく完成しました。

完成後は五島との関係もあり、しばらくは東急グループによる運営されていました。しかし、1981年独立。曹洞宗「大船観音寺」として正式な寺院となりました。

このように現在は寺院が建設されましたが、当初は仏像でありながら宗派に属さない建築であったことがわかります。今の私たちからすると不思議な感じです。

いざ、観音様のふところへ

大船駅の西口改札を出ると、目の前の山に観音様が見えます。

山際から顔を出す姿は、特撮のワンシーンようだといつも思います。

大船駅は西口側の階段を下りて、柏尾川と横断歩道を渡ってコンビニ横の路地を入ります。山際に沿うように伸びる参道を登っていくと、視界が開けた場所に御船観音寺の参拝受付があります。

参拝料は高校生以上は300円です。

境内に入っても、参道はもう少し続きます。
左手には休憩所やお手洗いがありますが、参道は右手。

ここからの参道は観音像の正面に設けられていているので、観音様と対峙するように登っていくことになります。観音像があまりにも大きいので、少し遠近感がおかしくなりそうです。

多くの巨大仏が立像であるのに対して、この観音像は胸像という珍しい造形です。

大船観音建設計画が始まったのは今から90年弱前のこと。
当初は立像として計画されていましたが、この山の地盤は軟弱であり、建設が不可能と判断されて、胸像へと変更になった経緯があるそうです。

階段下から観音像を見上げると、もしやあの山の中に胸から下が埋まっているのではないかと想像がかき立てられます。

階段を登りきると、観音像の正面です。
目の前にしてみると、なんだか証明写真のようですね。

正面付近には色鮮やかな花が供えられていて、白亜の観音像とよく似合っています。

左手には小さな売店があるだけで、他に建造物はありません。
観音像の周囲を反時計回りで巡回することができます。

背後に目を向ければ、大船の街が広がっていて、見晴らしはよいです。

像に触ることができるほど近寄ることができるので、よく見てみると、観音像の表面は意外にもざらざらとしています。

大船観音の胎内へ

大船観音胎内

背後まで回ると、階段を利用して胎内に入ることができます。

内部は決して広くはありませんが、建設時の貴重な写真などが展示されているので必見です。
鉄筋コンクリート造りの胎内は天井が剥き出し。

最奥にはミニ大船観音像が安置されています。
床もコンクリート造りのため、礼拝用のマットが用意されていました。

余談にはなりますが、財政難で一度放置された観音像は、江戸川乱歩の小説『黄金仮面』に登場します。

探偵・明智小五郎と対戦する怪盗のアジトとして、作中では「奈良の大仏よりも大きいので有名な、O町名物のコンクリートの大仏」と書かれています。観音像は完成していない頃からも意外と有名だったのかもしれません。

電車からも見えますんもんね。

大船観音寺の場所